第十六章 ブエノスアイレスからニューヨーク経由で日本帰国
第十六章 ブエノスアイレスからニューヨーク経由で日本帰国
2011年1月15日土曜日
自分がどこにいるのか分からない怖い目覚めが嫌なので、そっと目を開ける。昨日眠りについた部屋と同じ、ここはブエノスアイレス。
今日は帰国日、昼御飯をエスカルホさんと約束していたので、その時間までにブエノスの町に出た。やっと人の視線を気にしないでも良い所に来た解放感、誰にも気付かれないで散歩出来る。
つい本屋さんに入り長居してしまった。街角ではタンゴダンサーが観光客向けのパフォーマンスをしている、その少し先ではギタリストが「君の影になりたい」を弾いていた、なかなか上手い!!時間がなくて聞いていられない、私は走り回っていた。もう一泊位はしたかった。ブエノスアイレスは都会、東京生まれ、都会育ちの私はこの都会の刺激的な空間をさ迷い歩くのは心地好い。急いでホテルに戻ったがフロントの連絡ミスで二時間近くロスしてやっと彼女と食事に出た。
全てが時間にゆとりがなかった。飛行機に乗りすぐセーターを着る用意をしたり、すでに想いは冬の日本…だったので、外が真夏である事をあまり考えず、昼食後につい湯船に浸かり…(体が疲れていて湯船に浸かりたかった) 熱中症みたいになり、クーラーの効いた空港までとても辛かった。バタバタとした時の流れの中、お世話になったアシスタントのエスカルホさんと別れて中へ、ブエノスアイレス、エセイサ国際空港は空港職員の若者はみんな横柄で不親切。今度、ここに来る時はブエノスアイレス、エセイサ国際空港を避けたいとさえ思った。もはやアルゼンチン、若者はこの大陸に初めて到着した先駆者の苦労と優しい気持ちは受け継がれていないのか…。時が流れ過ぎたのか…。 いや、コリエンテスではそう感じはしなかった。都会だけか…。
アルゼンチンを去るこの出口で空港職員の感じの悪さで、不愉快な気持ちのまま、行きより遥かに重く感じるアコーディオンと手荷物が疲れた体にきつい。飛行機に乗った途端に激しい疲れに襲われ、すぐ寝込んでしまい、離陸した事を知らない。気が付くとすでに安定飛行に入っていた。帰路は本当に辛かった。ニューヨーク、ケネディ空港は不親切と噂に聞いていたが全く違い、空港職員は皆、物凄く親切で、疲れていた私には有り難かった。ニューヨークでの待ち時間は6時間でかなり長く、屋根に積もる雪をぼんやり眺め、アメリカらしい食事を取りながら真夏のコリエンテスを思った。
ニューヨークから飛行機に乗ると日本人も沢山いて、みんな楽しかった旅の話に花を咲かせていた。私は疲れでほとんど食事を取れなかった。
日本。
いつも上空から眺めながら美しい国だ。としみじみと思う。
小さいけれど美しい私の国。いつもそう思う。
アコーディオンを持って、海外の演奏家たちと接する厳しい旅に出る時はその気持ちが特に強い。
日本人である事を誇れるような、日本人アコーディオン奏者としてやるべき事を強く強く感じる。
1月15日ブエノスアイレス夜6時過ぎ出発、1月17日午後3時半成田到着。
帰国。
アルゼンチン-コリエンテス、
Fiesta Nacional del Chamame 2011