第十五章 1月14日 2
第十五章 1月14日 2
2011年1月14日金曜日
昼過ぎ、ブエノスアイレス初日と同じホテルに落ち着いた。エスカルホさんは自宅に戻り、私はひとりブラリとブエノスアイレスの町に出た。近くを少し歩きサンドイッチとサラダを買って来た、大好きなスーパーで面白そうなデザートも買って来てホテルの部屋でテレビを見ながらのんびり食べた。ブエノスアイレスはシエスタの時間帯も開いている店が多い。
この日は夜、バルボーサ師匠と夕食を共にする話もあったが、2004年にラジオナショナルで出会った日本人一世の高木一臣さんとお会いする事を私は優先した。高木一臣さんは27歳位の時に船で何ヵ月もかけて日本からアルゼンチンに渡った方で、86歳になられる。私の音楽をとても評価してくれている方である。ブエノスアイレス在住日本人の為にらぷらた報知という新聞の編集長を長いことされていた。日本人として映画に出たり、なかなかユニークな生き方をされている方である。
その高木さんから去年、暮れに少し心配な手紙が届いていた、私はどうしても高木さんと会うべきだと思っていた。
夜8時、ホテルに迎えに来てくれた高木さん、7年ぶりの再会である。私が日本からお正月に出した手紙はまだ彼の元に届いておらず彼は私の出演したFiesta Nacional del Chamameのテレビ中継は見ていなかった…。高木さんは少し歩き方に不安があったが不思議と大通りに出ると大股の力強い歩き方になる。治安がすこぶる悪いブエノスアイレスで生き抜く為の姿を見た気がした。高木さんは日本橋という日本料理屋さんに連れていってくれて、沢山のブエノスアイレスでの武勇伝を聞かせてくれた。生命に関わるあまりに危険な彼の体験談につい、それでも治安の良い日本に帰らないのですか?なんて…私は失礼な言葉を口にしてしまった。
日本人としてアルゼンチンに骨を埋める覚悟と時々見せる日本への思い…。
海外に住む異国人の揺れる気持ちは簡単に言葉に出来る事ではない。
私はとても疲れていた、もう少し高木さんは話したい様子だったが、3時間くらいで私達は店を出た。あまり治安の良い地域でない。高木さんは一か八かでタクシーを拾えたら…みたいな様子で私は少し怖かったが幸い安全なタクシーを拾う事が出来て無事にホテルに戻れた。
夜のブエノスアイレス、少し足を引きずるように高木さんが町に消えていった。私は暫く彼の後ろ姿を見つめていた。
強い。日本から遥か遠いアルゼンチン、治安の悪いブエノスアイレスで力強く生き抜いている86歳。いつまでもお元気でいてほしい。
ホテルに戻るとぐったり疲れが出た。
明日、飛行機に乗り30時間の移動が待っている。
出発が早朝でないのが幸いだ。ホテルもロングステイで空港に行く午後5時までいられる。
久しぶりのバスタブに浸かり、いつしか眠りについた。
ブエノスアイレスは空気が違う。コリエンテスの穏やかさはここにはない。
アルゼンチン-コリエンテス、
Fiesta Nacional del Chamame 2011