第十四章 1月14日
第十四章 1月14日
2011年1月14日金曜日
二日位前から、同じ夢を見た。朝起きると、どこだか分からない、誰もいないホテル…。人の気配も感じられない中庭が見えて蒸し暑い重たい微風にカーテンがかすかに揺れている。恐ろしい孤独感…。
この日は怖いので薄目を開けてそっと見た。天井の扇風機の羽根がぐるぐる回っていた。
見渡してコリエンテスの部屋だと分かりホッとした。今日はブエノスアイレスに移動しなくてはならない。急いで身支度をし、すっかり馴染んだ部屋を見渡した。いろいろな事があった。リオ・パラナの犬、大観衆のアンフィ・テアトロ・トランシート・ココマローラ。アサードパーティーのチャマメ。
クーラーは最初の2日間は利いていたが、すぐ壊れた。あまりクーラーの冷えは好きでないし、天井の扇風機で十分だったが、洗濯物が乾かなくて少し困った…。
ロビーに降り、顔見知りになったフロントの人たちに挨拶をして、やっと来たレミスに乗り込む。
後方に過ぎ去って行くコリエンテスの町並み、私はきっとまたここへ戻って来るだろう。
コリエンテス空港に着き。カフェに入った。いつものコーヒー(カフェ コン レチェ)とチパを頼み、最後のコリエンテスの食事を楽しんでいたらヒセラが急いでやって来た。今日は彼女はチャマメ音楽祭、本番の日で、「少しナーバスになっているの!」といつものチャーミングな笑顔で言いながら見送りに来てくれた。
ヒセラと再会を約束して私はゲートに向かった。
空港では何人もの人が「あなたの演奏を聞いた、素晴らしかった!」と声をかけて下さった。
荷物チェックの空港職員は「アコーディオンは私の叔母さんが昔、ベルドゥラ(野菜verdura)と呼んでいたよ」と言った。これも昔、本で読んだ事がある。
灼熱の太陽が降り注ぐ午前10時45分少し過ぎて、ブエノスアイレスへと飛行機は離陸した。
飛行機から遠ざかるコリエンテスの町を私はいつまでも、いつまでも、見えなくなるまで見ていた。離れては生きていけない位、とてもとても大切な何か、から引き離される激しい辛さで私は心掻き乱された。涙が止まらなかった。誰にも気付かれないように声を押し殺して泣いた。
ブエノスアイレスまで1時間半、アシスタントさんが、コリエンテスで使った雑費の請求の話を始め私はやっと現実に戻れた。そう、現実に戻らなくては。チャマメを僅かしか知る人のいない日本に戻り私は孤独と戦いながら頑張らなくてはならない。
ブエノスアイレス。町の音が違う。
エスカルホさんが飛行機の中で、何度も話しかけたそうだったという紳士が話しかけてくれた「あなたの演奏、キロメートロ11とグランハ・サンアントニオが特に良かった!!」と。
嬉しかった。
コリエンテスを去らなくてはならず、ブエノスアイレスからコリエンテスを想うチャマメ曲は多いが、コリエンテスは不思議な魅力を湛えた町だ。あのゆったりと流れるパラナ川に抱かれたおおらかな気質。
長い間、チャマメと向かい合い、日々弾いて来た私がチャマメから感じていたコリエンテスそのものだった。そしてさらにそこに住む人たちの愛情も私は心に持つ事が出来た。
Ah mi Corrientes pora!
コリエンテスからブエノスアイレスへ
ヒセラと再会を約束!!
アルゼンチン-コリエンテス、
Fiesta Nacional del Chamame 2011